お米のくりやの歴史?140年の社歴についてご紹介!

皆さんは「お米のくりや」に、140年もの歴史があることをご存じでしょうか?
実は、通信販売が普及する大昔から、お米業界に携わっており、長い歴史があります。
今となっては、創業140年続いているお米問屋は、少ないでしょう。

皆さんには、ぜひお米のくりやの歴史を是非とも知っていただきたいと考えております。

□お米のくりやの歴史とは?

お米のくりやは創業140年続いており、創業から現在まで様々な歴史があります。
創業から140年間も経つと、様々な出来事があり、この記事だけでは紹介しきれないところも多々あります。
しかし、お米のくりやを知っていただくために、少し歴史を振り返ってみたいと思います。

大きく分けて「創業に至るまでの歴史」と「創業から現在までの歴史」をご紹介します。

*創業に至るまでの歴史

現在、お米は、日本人の主食として親しまれていますが、昔もお米は重要な役割を果たしていました。
お米のくりやが創業されるより、さらに昔、江戸時代初期の武士たちは、大阪や江戸の中央市場へ御城米(おろしまい)といわれるお米を送って藩を経営していました。
それに伴い、全国的に海運業が発達しました。

海運業が発達したのち江戸時代中期は、香川県の大川郡では砂糖造りが盛んに行われていました。
そして高級な砂糖の積み出しにより、全国の65%までに及び高松藩は巨万の財産を得ました。

時代が変わり、天保2年に、お米のくりやの創業者となる初代橋本吉兵衛は、父とともに港から港へ貨物を運ぶ回船業を始めました。
そして、米や砂糖を大阪に向けて売りさばいていました。

しかし、明治になると、廃藩置県による影響で、砂糖造りは衰退してしまい
そんな中、明治政府による北海道開発が開始されることになります。
吉兵衛たちは、この開発をチャンスと考え稼ぎ場所を求め、当時としては最大級の貨物和船「多福丸」を就航しました。

それから2年後、三本松村発展の望みが託された「多福丸」は、悪天候により沈没し、船を購入するために関わった出資者は無一文になります。
もちろん、吉兵衛もその1人でした。
そこで、吉兵衛は、今までの海運業とは、全く関係のないお米屋として「栗屋」の創業を決意したのです。

*創業から現在まで

明治15年に創業し、2代目、3代目と続いたのちに、戦後、県の登録店「橋本商店」として再出発することになります。

4代目となる正治が現在の地域に営業所を移し、商圏を香川、徳島、愛媛に拡大していきました。
そして、昭和55年に「(株)くりや米穀」に組織を変更しました。
その後は、収容量600トンの倉庫を新設したり、大阪に新しい会社を設立したりすることになります。

千代田産業(株)を大阪に創立した平成6年度には、平成のコメ騒動が発生しました。
平成5年度のお米が大凶作により、お米の極端な値上がりが起きました。
今となって考えてみると、日本人の主食として食べられるお米が、高騰すると困る方は、たいへん多かったでしょう。

米騒動の問題もありましたが、翌年に「(株)千代田システム物流」を設立して、商圏を四国全県そして、中国地方の一部へと拡大しました。
平成7年には、5代目が引き継ぐことになります。

さらに年は進み、2000年に創業120周年を迎え、平成2005年にインターネット通信販売を開始して全国にお米を届けるようになるのです。
お米のくりやは、創業から現在に至るまで、工場の新設や技術進歩によるシステムの導入などを毎年行ってきました。

様々な苦難がありましたが、現在は本社と工場を香川県のさぬき市津田町に構えて、日々精進しています。
これからも、新たな歴史を残し、多くの人に、お米の魅力を知ってもらい、その思いを届けていきたいと考えています。

□お米のくりやの思いとは?

お米のくりやには、創業140年もの歴史があるということをおわかりいただけたと思います。
また、皆さんには、歴史だけではなく、お米のくりやの思いを知っていただきたいと考えております。
そこでお米のくりやが大切にしてる思いをご紹介します。

*お米の魅力を伝える

お米のくりやは、お米の魅力を伝えることを大事にしています。

基本的にお米は1年に1度しか作ることができない場合がほとんどでしょう。
そのため、どんなにお米のことを理解していても、お米作りには一生に60回ほどしかチャレンジできない計算となります。

そんなお米にも祖先が存在し、様々な試行錯誤が行われて、その結果おいしいお米が生まれてきました。

現在では、多くの品種のお米が存在していますが、歴史を振り返ると苦労無しにおいしいお米は作れなかったとこがわかります。
実際に、コメ業界に携わり、勉強していくうちに、お米は非常に奥深く、魅力が底知れないものだということを身をもって実感します。

また、お米には不思議な魅力があるのです。
おいしいお米の前では、自然と笑顔になってしまいますよね。
このように、人を豊かな気持ちにして、笑顔を生み出す力があるでしょう。

私たちは、皆さんにまだ知られていないお米の魅力を伝えることが使命だと考えています。

*必要とされるお米屋に

お米のくりやは、必要とされるお米屋でありたいと考えています。

そのため、お客様には、「お米のくりやでないとダメだ」と思ってもらえるように、努力を続けています。
また、お米について1番の理解者である生産者の方にも「お米のくりやが取り扱ってくれるから、安心してお米づくりができる」と安心しておいしいお米を育ててもらいたいと考えています。

さらには、協力会社や仲間にも「やりがいや自己成長を感じられる」と思ってもらえるような社会的に必要とされるお米屋になる必要があります。

*お米を通じて、人を結ぶ

お米のくりやは、お客様と生産者をつなぐ架け橋と思ってもらえれば良いでしょう。
いざ、歴史を振り返ってみれば、社名が変わることはありましたが、初代橋本吉兵衛の思いは変わっていません。
そもそも吉兵衛は、お米屋になる前は回船業を営んでおり、大阪を中心に砂糖やお米を運んでいました。
また、地域の特産品を運び、各地で商売も行っていました。

このような商売は、人とのつながりによって成り立つものでしょう。

悪天候により、船は沈没してしまい仲間とともに無一文になってしまったことがきっかけで回船業はやめてしまいます。
しかし、港から港へと貨物を運ぶ回船業から全く異なるお米屋でも、人とのつながりを大事にする思いは生きています。

お米のくりやの創業の精神として、人と人をつないでいくという回船業時代からの考え方は今も受け継がれています。

*自然の恵みに感謝する

お米とは、まさに自然の恵みによってできているものです。
長年契約している生産者の方は、「私たちの仕事は土づくりをすること、あとは自然の恵みに任せる」とおっしゃっていました。

お米は、工業製品ではありません。農産物です。生きています。
自然の恵みによって得られるものだからこそ、その年の気候などにより収穫量が少なかったり、出来が悪かったりするときもあります。
そのため、お米のくりやは、自然の恵みを商品にさせていただいていることを忘れず、常に感謝の気持ちをもつようにしています。

□まとめ

お米のくりやは、創業から140年の間、積み上げてきたものがたくさんあります。
初代から受け継がれてきた、お米のくりやの思いを忘れず、できるだけ多くの人のもとへ、お米の魅力や感動を伝えていきたいです。

また、今回の記事を読んでみて、お米についてもっと知りたいと思われた方は、当社ではおいしいお米を食べ比べできるセットも販売しています。
ぜひお気に入りのお米を見つけてみてはいかがでしょうか。